うららかな春の日。
通り過ぎた部屋からは、女達の歌合わせをする声が漏れる。
木には鳥が鳴き、雲一つ無い青空が広がる。誰もがのんびりとくつろいでいるような午後、博雅は同僚の男と廊下を歩いていた。

「───その桜が見事なものでなあ。帝もお喜びになったそうだ」
「ほほう」

とりとめない話に相槌を打つ。庭に目を遣ると、何人かの男が蹴鞠に興じ、それを見物人が囃し立てていた。
鞠が高く上がる度に、一際大きな歓声が上がる。誤って落としてしまった者には野次が飛ばされた。

平和な光景をぼんやりと眺めていた博雅は、廊下の角を曲がって来た誰かに気付かなかった。

「おっと、失礼」

正面衝突しそうになるのを慌てて避ける。それでも肩がぶつかってしまった。

「いいえ、こちらこそ」

軽く頭を下げたその男の顔に、博雅は目を見張った。
肌は抜けるように白く、しかし薄い唇は血のように紅い。
切れ長の美しい眼。黒く輝く瞳には、底知れぬ深さがあった。その佇まいに、ぞっとするような色気が漂っていた。

その面に釘付けになる博雅を他所に、男はするりとその横を通り抜けて行ってしまった。
端に避けていた同僚が、何処か忌々しそうに呟く。

「安倍晴明か」
「…あれが?」

話に聞いたことはあるが、実際にその顔を見たのはこれが初めてだった。
当代髄一の実力を謳われる陰陽師。その力を帝も大層頼りにしていると聞く。
しかし噂はそれだけに留まらない。

「帝もよくあのような狐を信用なさるものだ」
「狐というのは…ほんとうなのか?」

得体の知れない雰囲気も手伝ってか、妖しの白狐を母に持つという彼をよく思わない者も多い。人間とはいつの時代も、異質のものを好まない。

「さあ、ほんとうかどうかは分からんが。しかし博雅殿も見ただろう。あいつも狐だとしても、私は少しも驚かないさ」
「そう、ですか…」
「しかしあの容姿ですからな。…大きな声では言えんが、あの男に骨抜きにされている者も何人かいるとか」
「骨抜きに?」
「奴が怪の血を引いているとしたら、人をたぶらかすなど容易にできましょうな。博雅殿も気を付けた方がよいですよ」
「私?」
「今の一瞬で、目を付けられたやもしれませんよ。あの男に関わっては、ろくなことが無いでしょう。目が覚めたは田んぼの中、掴まされたは馬の糞ということにでもなりかねませんからな」

くわばらくわばら、そう言って彼は笑ったが、博雅は今来た廊下を振り返った。
先程すれ違った背中は、もう遠くに行ってしまっていた。


「博、雅っ」
「ん」

物思いから我に帰る。息を荒げた晴明が、潤んだ目で此方を睨んでいた。

「集中、しろっ」

腰に絡んだ足に力が籠る。それと同時に繋がった部分が強く締め付けられ、博雅は息を吐いた。

「ああ、すまぬな、晴明」
「なら、早く、…あ、あ、」

腰を揺すってやると、高い声を上げる。敷布に散った黒髪が美しかった。

「おまえ、馬鹿、いや…っあ、ああっ」
「何、こうしてほしかったんだろう」
「やぁ、も、んあ、」

肌がぶつかる。粘着質な音が響く。
身体に手を這わせ、首筋に顔を埋めた。微かな汗の匂いがいとおしい。
更に強く突き上げると、悲鳴のような声が上がった。
普段の取り澄ましたような彼からは想像もつかない。ひどく卑猥で、必死に自分を求めてくる。
それを見る度、たまらない気持ちになる。他の誰にも見せたくない、触らせたくないと思う。大切にしたいけれど、もっともっと乱してしまいたい。壊れるほどに、この想いをぶつけたい。自分以外に何も分からなくなるぐらいに。

「は、ああっ、…博、雅」
「どうした」
「も…駄目、お願…」

びくびくと震える身体は限界を訴えている。すうっと一筋、涙が流れた。

「晴明、」
「博雅…あああっ!」

ぐっと肢体を引き寄せ、加減をせずに突き上げた。余りの強さに逃げを打つのを許さず、更に穿つ。
最早意味の無い喘ぎしか漏らさなくなった彼を強く抱き締めた。いっそ融け合って一つになることを望むように。

「っは、やああ、あ、ああっ」
「…っ晴明、」


二人、一気に上り詰めた。

「博雅・・・」

「どうした、晴明」

「・・・いや、何でもない。もう寝たかと思うてな」

「ふうん」

闇の中、痩身を引き寄せる。いつもはひやりとしたその身体も、事後の熱が冷めやらずひどくあたたかい。

「後悔しているのか?」
「何がだ?」
「こんなこと、をだ」
「まさか」

強く抱き締める。額に唇を落としてやると、くすぐったそうに身を捩った。

後悔したことなど、一度も無い。彼が人間か何か別のものか、それも今ではどうでもいい。彼が彼であることは確かなのだから。
人が眉を潜めても、その過去も含めてすべてが愛しい。それさえも彼を形成する一部なのだから。


頬に鼻先に口付け、最後に唇を合わせた。
隣に彼がいる、嬉しそうに笑う。それだけで、十分だと思う。


 

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