門を押し開き、博雅は急ぎ足で庭へと回り込んだ。

「晴明!」

開け放たれた襖の向こうでは、単を身に付け、髪を背に流した晴明が、布団から上体を起こしていた。

「どうした、博雅」
「どうしたもこうしたも、おまえ、大丈夫なのか!?」
「ああ、それか。…見ての通りだ。調子がよいとは言えぬがな。大丈夫だ」
「怪我は無いのか?今は何処か痛むのか?必要なものがあれば持って来させるぞ。何かあるか?」
「落ち着け、博雅。そんなに一度には答えられぬぞ」

笑って諌められたが、博雅は依然顔を曇らせたままだった。

「すまぬ。…心配なのだよ、おれは」
「分かっているさ。だが、おれは大丈夫だよ」
「…何があったのだ」

博雅の聞いた話では、昨日妖を祓った際に瘴気を浴びた晴明が倒れたのだと言う。しかし、都の噂の常として、そこには余計な尾ひれが付いていたり、噂そのものが誤っていることも少なくない。今回もまた、晴明は今も意識の無い状態である、いや自分の聞いた話では違うとか、怪我をしたとかしていないとか、様々な話が異なる口から囁かれた。居ても立ってもいられなくなった博雅は、走ってここまでやって来たのである。

「少し、具合が悪かったのだ。…妖は祓いおおせたが、少し瘴気にやられてな。まあ、しばらく寝ていれば良くなるであろうよ」

何でもないことのように言うが、その顔色はひどく悪い。言葉にも何処か力が入っていなかった。

「…そうか。ならば、ゆっくり休め。おれがついていてやるから、必要なものがあれば言えよ」

博雅はそう言って、白い頬を撫でた。

「晴明!」

庭先に出ていた晴明は、その声に振り返った。

「博雅、見ろ。もう新芽がふくらんでおる」
「そのようなことはどうでもよい!おまえ、何をしているのだ!」
「何とは、」
「まだ起きてはいかんだろう!しばらく休まねばならぬと、昨日言ったではないか!」
「しかし、」
「しかし?」
「おまえはずっと寝ているのは、退屈だとは思わぬか」
「退屈?そう思うのなら、尚更早く治すべきであろう!」

博雅に叱りつけられ不満そうにはしていたが、それでも思うところはあったらしく、晴明は少しばつの悪そうな顔をした。

「…分かった。横になる」

そう言ったその顔色は、未だ思わしくない。

「うわ、」

戻ろうとする彼の身体を、博雅は抱き上げた。予期せぬ体勢に、晴明の履き物が片方、ぽろりと地に落ちた。

「身体だって、こんな風に冷やしてはいかんだろう」

ひんやりとした感触に、ぼやきながら濡れ縁へ向かう。

「博雅、履き物が…」
「いい。おれが後で拾う」

きっぱりと言い切られ、晴明は裸足の足を小さく揺らした。殿上人が位の下の者の履き物を拾うなど、他の貴族が聞けば卒倒するだろう。

濡れ縁を上がり、敷いたままだった布団にそっと下ろされた。おとなしく潜り込むその傍らに、博雅はどっしりと腰を下ろした。

「…博雅」
「なんだ」

腕組みをしてじっとこちらを見下ろす博雅に、晴明が声を掛けた。

「眠れないのだが」
「辛いのか?」

即座に返ってくる答えはどうにも的外れだった。なんとなく言いづらくて、布団を口元まで引き上げる。

「その、あまり見られていると、落ち着かぬのだ」
「む」

口を引き結んだ博雅は、それでも渋々と立ち上がった。

「ならば、そこの、すぐ外の所にいるからな。何かあったら呼べよ」
「ああ。…それと、博雅。笛を吹いてくれぬか」
「笛か。ああ、いいぞ」
「頼む。おまえの笛を聞けば、よく眠れる気がするのだ」
「そうか」

布団の外に出ていた手を取って、中に入れてやった。そっと白い頬を撫でて、博雅は濡れ縁へ出た。春の日差しがあたたかかった。

やがて聞こえてきた音色に、晴明は微笑んで瞼を下ろした。
曲が静かに終わりを迎え、博雅が室内を覗き込んだとき、晴明は安らかな寝息を立てていた。
 

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