月のきれいな夜。
晴明は、瑠璃の杯を口へと運んだ。

「いい夜だな、晴明」
「…ああ」

博雅のうっとりしたような声に答える。
夜風に、草や木の葉が揺れる。そこここに、目立たない花が咲いている。小さな、可憐な花だ。

「…おまえは、よい匂いがするな」
「おまえが飲んだ酒の匂いだろう」

晴明は、呆れたように溜め息をつく。

「いいや、おまえの匂いだ」

腹にまわされた手に、力が篭る。
博雅は目の前の項に鼻を近付け、すん、と息を吸った。

いつものようにやって来た博雅に、晴明は酒を出した。
先日、物の怪に取り憑かれたとかで、晴明に泣きついてきた男がくれた物だ。
物の怪自体はたいしたものはなかったため、それほど大変な仕事ではなかったのだが、男はいたく感謝した。そして珍しいものですので是非、と持ってきたのがこの酒である。
強い酒ですので一時にたくさんお飲みになられないように、そう言っていたので用心して一口飲んでみたのだが、口当たりもよく、なかなか美味であった。そのため博雅はつい油断をして、飲み過ぎてしまったのである。
気付いたときにはもう遅く、博雅の思考回路は完全に、ふやけてしまっていた。

「晴明ー」
「何だ」
「いい夜だな」
「…おまえ、さっきも同じことを言ったぞ」
「何を言っているのだ。言ってないぞおれは」

言ってないぞー、とぶつぶつ言う博雅に、晴明は再び溜め息をついた。
この体勢になってから随分経つ。何も晴明が望んだ訳ではない。酔っ払った博雅が、いきなり晴明の手を掴んで引っ張ったのだ。
驚きのあまり抵抗も忘れて従うと、博雅は晴明を自分の足の間に座らせ、後ろからがっしりと抱きついてきた。
肩に顎を乗せ、よし、と言うまで晴明が呆然としていたのも、無理はない。

自分の杯に手が届かなくなってしまったため、晴明は仕方なく博雅の杯を使っている。博雅は晴明に、おまえはもう飲むな、と言われてしまったため、半ばふてくされながらもそれに従っている。

「まったく、お前は…あんなに調子に乗って飲むから…」
「晴明ー」
「今度は何だ」
「この格好はなー、いいんだがつまらんなー」
「…おまえがさせたんだろうが…」
「んー」
「何が不満なのだ」

博雅はしばらく、うーんうーんと唸っていた。
もうこの酔っ払いの相手止めようか、そう晴明が思い始めたその時。

「おまえの顔が見られんからなー。つまらん」

ぴしり、固まる晴明を他所に、博雅は更に呟く。横顔だけというのも寂しいなー。くっついていられるのはいいんだがなー。なー晴明。
ぎゅうぎゅう、子どものようにしがみついてくる、頬を寄せてくる博雅がしたたかに酔っていることに、晴明は感謝した。赤くなった顔を隠さずに済む。酔っていなければこうはならないであろうことに気付かない辺り、晴明も酔っ払っているのかもしれない。

「晴明、」
「何だ博雅」
「好きだ」
「…ああ」
「晴明、晴明、」
「博雅」
「好きだ晴明、」
「知っているさ」


嬉しそうに笑う彼に、口付けてやろう。
明日になったら、きっと忘れているんだから。

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