式の後に付いて、夕暮れ時の庭へと回り込んだ。
あるものと思っていた姿が、其処には無かった。

「…晴明?」
「あちらに、」

女が示す方向に視線を遣る。改めて見ると、この庭は思っていたよりも広かったのだと気付いた。
少し離れた位置に男はいた。白い背中が、草むらに屈み込んでいる。

「晴明」

近付くと彼は振り向いた。烏帽子も被らず、結った黒い髪を背中に垂らしている。

「早かったな、博雅」

男はすっと立ち上がり、此方に歩いてきた。胸元に抱えているものが初めて見えた。

「薬草か?」
「ああ」

野の草をそのまま移してきたような庭だが、まるきり無秩序というわけでもないらしい。その腕には何種類もの植物があった。
近付いて初めて、その髪が湿っていることが分かった。薄手の着物を纏った姿は、なんとなく頼りなく思えた。

「おまえ、髪を乾かした方がいいのではないか。風邪をひくぞ」
「そうかもな。…蜜虫、もうよいぞ」

驚いた。式神のことをすっかり忘れていた。振り向くと、女は一礼し、すうっと消えてゆくところだった。

「湯浴みでもしたのか」
「ああ。…悪いが、もう少し待ってはくれんか。じきに摘み終わる」
「おまえ、おれの言ったことを聞いておらんのか…」

近頃、大分涼しくなってきた。朝晩にははっとするほど冷え込むことだってある。それなのに彼は、濡れたままの髪で庭に出ている。いつだって自分のことには無頓着な彼には、博雅はその度にはらはらさせられるのだ。
腕の中の薬草を確かめている晴明のその手に、少しの土がついていた。
いつだって白い手が汚れている様が珍しくて、博雅はその土を払ってやった。

「ん、」
「ああ、泥がついていたのでな」
「おまえの手が汚れるだろう」
「おれは気にせんぞ」
「おれだってそうさ」

その言葉に顔を上げると、彼は半ば呆れたように此方を見ていた。

「しかしな、」

そこまで言ってはっとした。美しいこの手は、何も知らぬ姫君の手ではないのだ。
この手で多くの生を救い、死を扱ってきたのだ。
時には土にまみれることも、血に濡れることもあったろう。
昂る感情に拳を握ったことも、溢れる涙を拭ったことも。
そうやって彼はこの手を携えて生きてきたのだ。この手で運命を打ち出してきたのだ。

「…博雅?」

不思議そうに此方を覗き込む瞳とかち合った。

「どうかしたか?」

「…いや、」

土のついたその手を握りしめた。

「どんなに汚れても、おまえの手はうつくしいと思うてな」
「…おまえな」

溜め息をつかれたが、それでもしっかりと握り返された手が愛しかった。


彼が自ら選び取ったは己の手だと、自惚れてもよいのだろうか。
ずっと戦い続けてきたこの手を、今は自分が癒してやりたい。そう思った。

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