時々、ひどく疲れてしまうことがある。
自分が嫌になる。人が、全てが嫌になる。
日が昇って、沈んで、また昇って、沈んで。たまには雨も降るだろうけど。死ぬまでそれが繰り返される。なんと代わり映えの無い日々だろう。
何もしたくなくなる。美しいものだって、いつかは消えてなくなる。眠っているうちに死んでしまえたら、どんなに楽だろうか。
今まで自分は、どうやって生きてきただろうか。これからどうやって生きればいいのだろうか。
嫌でも明日はやってくる。もう、疲れた。ここでおしまいにしてはいけないのだろうか。

「晴明?」

名を呼ばれ、ぼんやりと傍らの男を見る。そういえば彼が来ていたのだったか。

「どうした。口数が少ないな」
「そうか」

優しい彼には申し訳ないが、言葉を返す気にはなれない。考えるのはもう疲れた。

「晴明」
「…どうした」

手を取られた。博雅の手は、温かい。

「冷たいな」
「そうか」

そっと包み込まれる。自分の手にも、じんわりと温もりが広がる。

「晴明」

返事をすることも億劫だった。それでも博雅の言葉は優しい。

「疲れているのだな、晴明」

その手が頬を包み、首筋を撫で、背中に回された。
冷えていた身体が、温まっていく。

「…おれが、おまえの辛さを少しでも背負ってやれたらよいのにな…」

すまない、何もできなくて。そう言われ、晴明は無言で首を振った。そんなことはない。いつだって彼には救われている。今もゆるゆると背中を撫でるその手に、どれほど力付けられてきたことか。
この都で生きていくうち、心にもないことはすらすらと口から出るようになった。けれど引き換えに、本心を言うことを止めた。溢れるほどの感謝も愛も、素直に伝えることを忘れてしまった。それでも彼は、いつでも傍にいてくれる。その存在が、どれほど大きいことか。

「…なあ、晴明」
「…うん」
「この間、新しい楽譜を手に入れたのだ」
「そうか」
「また、吹けるようになったら、聞いてくれるか」
「ああ」
「それからな」
「うん」
「昨日、賀茂忠輔殿にお会いしてな。また、遊びに来てくれとおっしゃっていた」
「うん」
「今年の鮎は、よく肥えているそうだ」
「うん」
「また、いっしょに行こうな」
「…うん」

優しい腕の中、晴明は静かに瞼を下ろした。ここは今、どこよりも安全な場所なのだと思う。愛情だけが込められた抱擁は、どんな結界よりもしっかりと晴明を守っていた。
もう少ししたらきっと、笑うことができる。
 

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